ケータイ辞書JLogosロゴ 上下堤村(近世)


宮城県>鳴瀬町

 江戸期〜明治22年の村名。桃生【ものう】郡深谷のうち。「元禄郷帳」の村高473石余,「天保郷帳」では681石余。「安永風土記」によれば,安永年間の村高68貫余,うち田代61貫余・畑代6貫余(茶畑119文),人頭42,家数68(うち水呑5・借屋21)・人口341・馬32。村高のうち66貫余が給地で,残余が蔵入地。給人には横沢・小関氏らがおり,うち横沢氏は地内の六崎に屋敷を持っていた。両氏とも地内の知行高は不明。神社には八幡の八幡社,明神の神明社,愛宕の愛宕社,浦越の多田川明神社があり,寺院には,富沢に正保年間の創建で明和2年の中興と伝える臨済宗済興寺がある。修験は本山派善教坊。また,浦越に承応年間の創建と伝える臨済宗山岡院があったが,明治初年済興寺と合併,のち廃寺となる。村内には総面積30万坪近い15か所の御林があり,御竹藪も6か所を数えている。明治元年高崎藩の預り地,以後,桃生県・石巻県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同22年桃生郡小野村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256602
最終更新日:2009-03-01




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