ケータイ辞書JLogosロゴ 橘郷(中世)


宮城県>角田市

戦国期に見える郷村名伊具荘のうち初見は「伊達家文書」大永5年11月11日付の田手いはみ(石見)宛伊達稙宗安堵状案で,「伊具の庄たちはなのかうのうち,竹の内在家一宇のこさず,同たちはなのむら,やち田七たん,ひなたのまへ,いつみのおんの田三たん」と見え,たちばな郷ともたちばな村とも称していたことがわかるさらに「天文段銭古帳」伊貢(具)荘の項には「三貫百文 たちはなのかう」と出ている豊臣秀吉による奥州仕置,いわゆる太閤検地はこの地でも実施され,その検地帳の1つ天正19年9月11日付の「奥州伊具庄橘之村御検地水帳」が残っている大窪・中の打(内)・打越・町田・といの口・三河尻・ふか井・川はたなどの小字名が見え,上中下田合計13町5反3畝21歩,石合計184石9斗7升3合余,上中下畑合計42町1反3畝22歩,石計289石5斗余,田畑総計55町6反7畝13歩,石総計474石4斗7升1合余と計算されている角田【かくだ】市東根坂津田橘沢の地に比定される当地奥には横穴古墳群・磨崖仏も見られ,古くから開けていた地である
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256785
最終更新日:2009-03-01




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