ケータイ辞書JLogosロゴ 長磯村(近世)


宮城県>気仙沼市

江戸期〜明治8年の村名本吉郡北方大谷本郷のうち(安永風土記)気仙沼湾西方波路上【はじかみ】の北側に位置し,東は気仙沼湾に海食台で面している往古は気仙沼湾に砂丘を作っていたものが,浸食と津波で現在のように丘陵地帯に変わった地名は山崖で海に接して渡り場の少ないところから,この名がつけられたとみられる寛永18年仙台藩惣検地の結果,長磯村となる仙台藩直轄領万治年間の人頭115・高35貫余(万治風土記)延享年間の人頭108・人数584・高35貫余・舟数20(延享風土記)鎮守は熊野神社・大明神社「天保郷帳」の村高382石余安政5年の人頭54・人数302・高29貫余・舟数17・馬52明治7年田畑197町余明治元年高崎藩取締地となり,以後,桃生【ものう】県・石巻県・登米【とめ】県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県に所属同8年波路上【はじかみ】村・最知【さいち】村・岩月村と合併,本吉郡階上【はしかみ】村の成立に伴い,その一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7256973
最終更新日:2009-03-01




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