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- 東郷(近世)とは
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東郷(近世) 江戸期の端郷名栗原郡佐沼南方【みなみかた】村のうち「安永風土記」によれば,村高田代253貫余・畑代28貫余で計282貫余(うち蔵入地223貫余・給所58貫余)人頭は寛永検地の竿答百姓8人から196人に増加家数217(うち水呑20・借屋2)・人数1,150・馬125舟は御役艜3・御役小艜2・御役高瀬1・かっこ舟5の計11神社は赤木明神社・十二社・熊野社の3社,仏閣は大六天堂がある当地の花園山は12色に咲くザクロの花があったことから,別名十二山とも称したと伝える明治以後南方村の字・通称として東郷本地【とうごうほんち】・東郷新田の2地区に区分され,昭和39年南方町(登米郡)成立に伴い,現行の南方町東郷本地・東郷新田となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
東郷(近世) 江戸期の郷名小城【おぎ】郡のうち佐賀藩の農村支配のために設けられた行政区画の1つ属した村々は,貞享4年の御領中郷村附によれば,畑田ケ里,大江ケ里,砂田ケ里,飛田ケ里(轡ケ里ともいう),船田ケ里,九蘇ケ里,勝ケ里,高柳ケ里,江津ケ里の9か村「宝暦郷村帳」によれば,当郷に属する村は畑田ケ里・大江ケ里・砂田ケ里・飛田ケ里・船田ケ里・九蘇ケ里・勝ケ里・高柳ケ里・江津ケ里現在の小城町・牛津【うしづ】町の地域に当たる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
東郷(近世) 江戸期の郷名小城【おぎ】郡のうち佐賀藩の農村支配のために設けられた行政区画の1つ属した村々は,貞享4年の御領中郷村附によれば,畑田ケ里,大江ケ里,砂田ケ里,飛田ケ里(轡ケ里ともいう),船田ケ里,九蘇ケ里,勝ケ里,高柳ケ里,江津ケ里の9か村「宝暦郷村帳」によれば,当郷に属する村は畑田ケ里・大江ケ里・砂田ケ里・飛田ケ里・船田ケ里・九蘇ケ里・勝ケ里・高柳ケ里・江津ケ里現在の小城町・牛津【うしづ】町の地域に当たる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」