ケータイ辞書JLogosロゴ 平磯村(近世)


宮城県>本吉町

江戸期〜明治8年の村名本吉郡北方のうち「元禄郷帳」の村高315石余,「天保郷帳」では478石余「安永風土記」によれば村高は田代22貫余・畑代22貫余(うち茶畑5文)で計44貫余,蔵入地と給所が相半ばし,ほかに海上高4貫余がある人頭は寛永18年検地の竿答百姓34人から123人に増加人口677・家数141・馬142・舟53寺は大森に曹洞宗平磯山清涼院がある津谷村館岡にある曹洞宗津谷白雲山仏国峰仙寺の末寺で,慶長元年峰仙寺7世竹巌光嫰和尚の開基村鎮守は赤牛の愛宕神社また日門の須賀神社は康平年間,源義家が奥州合戦の時,京都八坂神社を勧請して武運を祈ったと伝える神社で,今も祭典時参詣人が多い(本吉郡誌)なお当地には昭和44年復活した民俗芸能「平磯の虎舞」がある100年ほど前漁師たちが虎の故事にならって,氏神に出漁の安全と大漁を祈願奉納したものと伝えられるこの付近一帯はツバキが多く開花期はみごとである明治元年高崎藩預り地,以後,桃生【ものう】県・石巻県・登米【とめ】県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県に所属同8年岩尻村と合併,大谷村の成立に伴い,その一部となる現在の本吉町字高【たか】・大朴木【おおぼおき】・小金沢【こがねざわ】・赤牛【あかうし】・府中・谷地・大森・前浜・天ケ沢【あまがさわ】・田の沢・猿内・山谷【やまや】・日門などの地
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7257331
最終更新日:2009-03-01




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