ケータイ辞書JLogosロゴ 平貫村(近世)


宮城県>角田市

 江戸期〜明治22年の村名。伊具郡東根のうち。永井氏550石の知行地。村高は488石余(元禄郷帳),のち664石余(天保郷帳)となる。家数57軒。神社は建武3年に北畠顕家が信州諏訪社を勧請したと伝える諏訪社と,駒形社。仏閣は観音堂。寺は文明4年開山と伝える浄土宗遍照山定迎寺。村内に伊達秀宗(伊予宇和島伊達氏始祖)の家臣桜田玄蕃の住居と伝える南楯館跡,渋谷大隅の住居と伝える北楯館がある(封内風土記・伊具郡誌)。明治元年新南部氏領,以後,白石【しろいし】県・角田【かくだ】県・仙台県・宮城県・磐前【いわさき】県を経て,同9年宮城県に所属。同22年伊具郡東根村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7257341
最終更新日:2009-03-01




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