ケータイ辞書JLogosロゴ 馬籠村(近世)


宮城県>本吉町

江戸期〜明治8年の村名本吉郡北方のうち大部分仙台藩蔵入地天和3年に新伝馬町に指定されたとあり(大向屋敷三浦家検断文書),「安永風土記」に馬籠町は検断屋敷を含めて47軒とあるが,西郡【にしこおり】街道・東山【ひがしやま】街道など,道は6方面に分かれ,伝馬人足の生活は楽でなかった定期市は4の日開かれたという馬籠村には砂鉄製鉄跡,キリシタン史跡が多く,金山もまた,盛んであった(本吉郡誌)製鉄は藩の許可を得て,慶長11年浪人佐藤十郎左衛門信治なる者,馬籠村の鋒森の麓に炯屋をつくり,出雲の点砂鉄法を試み,製鉄に貢献,仙台藩荒鉄吹方の嚆矢といわれた(仙台藩製鉄史)またキリシタンは永禄年間説もあるが,寛永年間フランシスコ・バラヤス神父の活躍した地方である十字架をまねた荒神剣,集会所跡と伝える場所などが残っており「安永風土記」にも「男女都合415人,うち男221人,うち37人古切支丹類族,女194人,うち2人古切支丹類族」と記されている金山は近代まで,御岳金山・宮城鉱山があったが,往古も盛んであったと伝えられ,地名に黄金山・十匁・商人沢【あきおざわ】などの字名を残している検地は初検寛永18年万治元年御改めの人頭は71人で,田代21貫余・畑代24貫余(陣場屋敷文書)とあり,「元禄郷帳」では346石余「安永風土記」には人頭76・田代21貫余・畑代24貫余(うち茶畑54文),都合46貫余,家数82・馬98と記され,「天保郷帳」には483石余とある村鎮守は八幡社・牛頭天王社・春日大明神の3社で,寺院に曹洞宗如意輪山吉祥寺があったが,明治元年焼失,同16年下要害に日蓮宗実相山真如寺が創建された明治元年高崎藩預り地,以後,桃生【ものう】県・石巻県・登米県・一関県・水沢県・磐井県に所属同8年津谷・山田2か村と合併,御岳村の成立に伴い,その一部となる現在の本吉町滝沢【たきさわ】・大東【おおひがし】・平椚【たいらくぬぎ】・大柴【おおしば】・信夫【しのぶ】・鹿の子【かのこ】・中平・牛王野沢【ごおのさわ】・小金山・上野【わの】・向畑・馬籠町頭・馬籠町・寺要害・深萩・下要害などの地
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7257519
最終更新日:2009-03-01




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