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- 松山荘(中世)とは
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![]() | 松山荘(中世) 平安末期~戦国期に見える荘園名摂津国有馬郡のうち「玉葉」養和元年10月19日条に「以季長朝臣,示送松山庄事於左中弁親宗之許,以政欲寄進院御領之間事也」と見え,九条兼実が後白河院に当荘を寄進しようと企てている建長2年の九条道家処分状によれば,兼実の孫道家から娘全子(四条院尚侍)へ譲与された家領のうちに「摂津国松山庄」とある(九条家文書/鎌遺7250)当荘はやがて摂家九条家の管領する興福寺大乗院門跡の所領となり,「三箇院家抄」巻2には「松山庄〈竜花院末庄〉摂津国」が記されている荘内に桑原村があり,荘域は少なくとも現在の三田【さんだ】市桑原を含む一帯であることが知られる「五畿内志」は福島・三輪・高次【たかすぎ】・桑原・田中・山田・志手原・香下・尼寺【にんじ】・小野・乙原【おちばら】・小柿の諸村を当荘とする |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」