ケータイ辞書JLogosロゴ 吉住村(近世)


宮城県>涌谷町

 江戸期〜明治22年の村名。遠田【とおだ】郡のうち。承応2年から安田氏の知行地。「元禄郷帳」の村高202石余,「天保郷帳」では418石余。「封内風土記」によると戸口21。八幡宮・塩竈神社・曹洞宗不動山滝沢寺があった。同書に「長泥と号する地あり,市店有りて駅なり」とある。道路が吉住から長泥を経て登米【とめ】郡赤生津【あこうづ】村に通じていた。長泥は迫川右岸に位置したので,往還の人々の休憩場所であった。明治元年土浦藩預り地,以後涌谷【わくや】県・登米【とめ】県・仙台県を経て,同5年宮城県に所属。同年の戸数26・人口122(宮城県国史)。同14年村内字篦岳を分村。同22年遠田郡篦岳【ののだけ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7257831
最終更新日:2009-03-01




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