ケータイ辞書JLogosロゴ 鮎川村(中世)


秋田県>雄和町

 戦国期に見える村名。初見史料は,天正19年正月吉日「秋田郡御蔵入目録写」に,「鮎川村」765石余と記載(秋田家文書)。前年の太閤検地の結果,豊臣秀吉は秋田実季領であった当村を太閤蔵入地に指定,その管轄を実季に委託した。慶長2〜6年,秋田家から豊臣方に報告した「御蔵入御物成納帳」では,慶長2〜5年が14〜17%,同6年が8.5%という物成率で蔵納していると記す(同前)。上記の史料では,いずれも当村を鮎川村と記し,女米木【めめき】村から小山【こやま】村までの雄物川左岸部,通称川南通の村々の中に登載。同帳で和田村と並記された鮎川村と混同しやすいが,765石余と表示された鮎川村こそ近世の相川村に継承された村と推断できる。西接の水沢(上記史料では白川村または白根村と表示)に,中世の城館址(清水館または白根館という)がある。当村の中心集落はその城下町として機能し,銅屋の地名は鍛冶屋敷の存在したことによるという(町史)。これらの所伝によれば,周辺の村々と同じく秋田郡編入の以前は,一時出羽国豊島郡に属す村でもあった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7257923
最終更新日:2009-03-01




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