ケータイ辞書JLogosロゴ 赤平村(近世)


秋田県>岩城町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国由利【ゆり】郡のうち。もと最上氏領,赤尾津【あこうづ】郷17か村のうち。元和8年本多氏領を経て,同9年亀田藩領。下浜【しもはま】郷(下浜通りともいう)13か村の1つ。村高は「正保国絵図」で356石,正保3年5月28日「高目録」では356石(うち田355.9・畑0.2)と図示。東北に二本松山・高森山があるが,山林には恵まれず,薪炭は乏しかった。天保4年の大飢饉により,南部津軽から多数の難民が流入,藩では当村に40坪の救小屋を建て救済した。しかし餓死者が数百人にも及んだため,墓標として六体地蔵を建立し手厚くまつった(町史)。享和2年の「領内村々庄屋覚帳」によると,その頃庄屋は斎藤初右衛門。長の沢には白山神社がある。東方には,応永5年肥後国から移住した熊野神社と稲荷神社,北東には岩城氏の転封と同年に現在のいわき市から移転した岩城氏の菩提寺曹洞宗太源派加賀国総持寺の末持禅勝山竜門寺があり,国家より寺領高100石寄付された。寛永3年僧呑亀の開基した曹洞宗太源派竜門寺の末寺太平寺がある。明治9年の調べによると,田33町6反余・畑9町4反余・宅地3町3反余,計46町4反余,家数は士族17・平民37・社3・寺2,計59軒,人口は男142・女142,計284人,牡馬24頭(郡村誌)。またこの年に亀田町の梅ケ沢と向山【むかいやま】地区が当村に併合された。明治12年小野源之丞が戸長になる。同22年由利郡亀田町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7257955
最終更新日:2009-03-01




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