ケータイ辞書JLogosロゴ 荒川村(近世)


秋田県>協和町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国仙北【せんぼく】郡(寛文4年まで山本郡)のうち。秋田藩領。慶長8年の村高230石余と推定される。「享保黒印高帳」の村高594石余・当高542石余(うち本田231・本田並73・新田238),「寛政村附帳」の当高564石余(うち蔵分312・給分252),「天保郷帳」542石余。境村の寄郷となるが,「享保郡邑記」では漆原【うるしばら】・八景【はつけ】・横道【よこみち】・面日【おもひ】・徳瀬・滝辺沢・宮田・犬平【いぬひら】・曲師沢【まげざわ】・下荒川・アンノ前・一羽根【ひとはね】・畑銀山町・新田面が枝郷として存在したが,19世紀初頭には犬平以下の7村が消失している(月の出羽路)。天正19年発見といわれる畠【はた】銀山は延享2年の休山まで約150年間畑銀山町として特別な扱いを受ける(秋田領内諸金山箇所年帳)。「享保郡邑記」の戸数140(うち枝郷分106),村鎮守は薬師神社。曹洞宗惣徳寺末寺の岩松山長泉寺がある。明治22年仙北郡荒川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258046
最終更新日:2009-03-01




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