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- 新屋敷村(中世~近世)とは
「新屋敷村(中世~近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 新屋敷村(中世~近世)
戦国期から見える村名出羽国山本郡のうち荒屋敷村とも書く村名の初見は,天正19年頃作成の「仙北郡村数日記写」に,太閤蔵入地に指定された沖野郷28か村のうち,「あら...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7258081]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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新屋敷村(中世~近世) 戦国期から見える村名出羽国秋田郡のうち史料上の初見は,「慶長6年秋田家分限帳」に「湖東通,新屋敷村」29石余とあり,秋田氏一門とみられる不染斎の代官所給地の村(秋田家文書)当地方には新屋敷・荒屋敷の地名は多く,湖東通で近世以降も村名を伝える村として,下虻川【しもあぶかわ】村枝郷の荒屋敷村,浜井川【はまいかわ】村枝郷の荒屋敷村がある後者は南北朝期の板碑が多数存在する村として知られるが,上記29石余が村高のすべてだとすると,少なすぎる分限帳の不染斎知行分として書き上げられた新屋敷村の前後の村々が虻【あぶ】川(豊【ゆたか】川)沿いの小村であるので,当村も前者に村名が継承された小村と推定される近世秋田藩政下の「享保郡邑記」では,6軒の村と記載村名は現在の小字新屋敷として残る |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」