ケータイ辞書JLogosロゴ 筏村(近世)


秋田県>山内村

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国平鹿【ひらか】郡のうち。秋田藩領。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに183石の村と図示。宝永2年には当高185石余,物成以外に藁241丸・糠55俵余・人足347人(釜木・夏萱・春垣・雪垣・詰夫)などの諸役があった(宝永2年黒印高帳・宝永2年黒印御定書)。「享保郡邑記」では,大場沢・新所【あらとこ】・伯耆沢【ほきざわ】・一ノ渡・大堤・大穴・植田野・沢田【さだ】の枝郷8か村を擁し,家数83軒(うち枝郷69)。横手町を親郷とする寄郷山内【さんない】村の枝郷であるが,黒印村として肝煎に準ずる帳蓋役の設置された寄郷といえる村。「享保黒印高帳」では村高191石余・当高187石余(うち本田142・本田並31・新田14),「寛政村附帳」で当高188石余(うち蔵分160・給分28)と認定。「天保郷帳」187石余。「文化13年横手山内菅糸御買上取調帳」(沼田家文書)では,2貫余(代金12両余)の生糸を生産する平三郎をはじめ,10軒の養蚕農家を記載。藍作りも盛んで,幕末期山内【さんない】9か村の肝煎を勤めた伊藤与右衛門家の藍床小屋は明治初期には24坪もあったという(山内村郷土資料)。三十番神社は山内村の総鎮守として信仰を集め,除夜の大松明神事や初聟の角力で翌年の豊凶を占ったという(雪の出羽路)。荒羅羅仙人社も筏のお仙様として近郊に知られた縁結びの神で,信者も多かった。真宗大谷派当知山頓信寺(六郷町真光寺末寺)は文化8年火災に遭い,寺宝や過去帳を失ったという。枝郷ごとに小祠がある。「秋田風土記」の戸数52軒。「天保郷帳」は187石余。「明治4年物成皆済目録」では190石余。同7年筏学校開校。同22年平鹿郡山内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258129
最終更新日:2009-03-01




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