ケータイ辞書JLogosロゴ 石崎村(中世)


秋田県>五城目町

 戦国期から見える村名。出羽国秋田郡のうち。天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に,「石崎村・屋ち中村」269石余とある(秋田家文書)。両村は隣接する村である。「文禄元年秋田家分限帳写」では,木村小助の代官所支配に指定された3か村中に,石崎村204石余と記載。分限帳に記載の石高は,秀吉朱印状に記載された石高より多少大きめであったとみられるが,いずれにせよ当時の当村は200石前後の村であったことになる。慶長5年12月7日栗沢甚兵衛代官所物成算用状では,木村小助の指定3か村分が栗沢甚兵衛に移されていること,および秋田家に納入を義務づけられた物成率が13%にすぎなかったこと,その他は甚兵衛扶持衆への給分を含めて納入免除となっていたことを伝える(秋田家文書)。代官所支配の強い村であった。なお天和元年作成の「赤神山縁起」では,建久4年小鹿島公業が「小石崎」の田6反を赤神山に寄付と記す(絹篩)。石崎村内の地と推定される。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258149
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ