ケータイ辞書JLogosロゴ 石沢村(中世)


秋田県>本荘市

 戦国期に見える郷村名。出羽国由利【ゆり】郡のうち。「由利十二頭記」によれば,この地の名を冠した石沢孫四郎らの土豪が見え,鎌倉期から地域的領主が成長していたことがわかる。それは湯沢遺跡・大簗遺跡などから出土した鎌倉期〜室町期のものとされる銅鏡・須恵器などの存在や,石沢館の伝承などが物語る。戦国期に入り,天正17年の湊騒動に際し,秋田実季の援助に向かった矢島の大江満安兄弟は,「矢島を打立ち,滝沢・石沢を経て,岩屋・赤尾津【あこうづ】を打過ぎ,荒屋浜よりぞ来りける」とあり(永慶軍記),当地は交通の要路であった。同18年小田原に参陣した由利諸氏の中に「石沢」と見える(永慶軍記)。同年9月末に起こった仙北の増田・川連【かわつら】・山田などの検地反対一揆征圧のための由利勢は,「二万余人,平沢・本庄・森(轟)木・岡本・石沢に充満す」といわれる(永慶軍記)。同年12月24日石沢二郎は,秀吉の朱印状により「出羽国由利郡石沢村三百九十八石五斗事,令扶助訖,全可領地也」と宛行われている(出羽国新風土記・地名辞書)。同19年九戸【くのへ】の乱に際しても石沢二郎の名が見える(永慶軍記)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258152
最終更新日:2009-03-01




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