ケータイ辞書JLogosロゴ 石田村(近世)


秋田県>雄和町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国河辺【かわべ】郡のうち。秋田藩領。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに,当村は図示されていない。平沢【ひらさわ】村のうちに含まれていたらしい。中世末期の大村であった平沢村が,亀田藩の成立によりその半分を黒瀬(下黒瀬)村として分出した代償として,当初石田村をも内包したと推定される。黒印御定書を交付され,親郷野田高屋【のだたかや】村の寄郷に位置づけられたのは,享保年間の郡村改めの結果であったとみられる。「享保黒印高帳」で村高207石余・当高127石余(うち本田49・本田並48・新田30),「寛政村附帳」で当高117石余(すべて給分)と認定。小村ながら,妙法村とともに黒印村となったのは,中世以来のかかわりがあったからかもしれない。「享保郡邑記」では村名のみ掲げ,戸数を記載しない。「秋田風土記」で11軒,「郷村誌」で11軒・57人・馬11頭と記載。「天保郷帳」は117石余。村肝煎は佐藤家。その氏神聖観音像をまつる産土社を村鎮守とする。明治11年平沢村を戸長役場とする13か村と連合,同22年河辺郡川添【かわそえ】村の大字となる。当時の村勢は戸数12・人口69,田48町・畑6町・山林原野14町歩余。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258156
最終更新日:2009-03-01




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