ケータイ辞書JLogosロゴ 稲沢村(近世)


秋田県>協和町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国仙北【せんぼく】郡(寛文4年まで山本郡)のうち。秋田藩領。慶長8年の村高167石余と推定される。「正保国絵図」の本田当高197石。「享保黒印高帳」の村高494石余・当高371石余(うち本田154・本田並18・新田199),「寛政村附帳」の当高183石余(すべて給分),「天保郷帳」371石余。刈和野【かりわの】村の寄郷となり,「享保郡邑記」に水沢・落合・屋敷ケ沢・本郷野【ほんごうの】・上野【うえの】の枝郷が見えるが,これは19世紀初頭に至っても存続していたことが明らかである(月の出羽路)。寛政期に上野・本郷野・屋敷ケ沢が消滅。新田開発の結果,享保期までに村高が急増する。天保5年2月,大飢饉により稲沢一揆が起こる。「稲沢村長四郎と申候者へ右村之者共多人数罷越米払呉候様之無心申懸ケ騒動致候由」(万日記)と記録され,打毀の形態となり,郡方吟味役・見廻役では収拾できず,藩主の巡行で鎮定。「享保郡邑記」の戸数77(うち枝郷分59),村鎮守神明社のほかに落合神社・熊野神社がある。明治22年仙北郡荒川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258219
最終更新日:2009-03-01




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