ケータイ辞書JLogosロゴ 稲庭村(近世)


秋田県>稲川町

 江戸期〜明治35年の村名。雄勝郡のうち。秋田藩領。慶長8年の村高818石余と推定。「慶長19年検地帳」(佐藤家文書)では,田60町774石・畑屋敷30町175石余とあり,名請人に小野寺氏・佐藤氏など旧稲庭家臣が多数含まれ,番匠・鍛冶・染屋・座頭・禰宜・御家人などもいる。隣村の三梨【みつなし】村や川向【かわむかい】村からの出作もあるが,村内の居住地として本町【もとまち】・新町【あらまち】・上町・中町・横町の町名や岩木・麓【ふもと】など45集落名が記されている。「正保国絵図」では,畑等【はたとう】・男安【おやす】・板戸【いたど】・仙翁【せんおう】の4か村を含んで,本田当高1,102石とある。4か村を分出した後の「元禄7郡絵図」では1,002石の村として記載。「享保黒印高帳」では,村高1,200石余・当高1,117石余(うち本田818・本田並154・新田145),「寛政村附帳」では当高967石余(うち蔵分564・給分403)とある。「天保郷帳」は1,117石余。享保〜明治期の枝郷は,鍛冶屋敷・熊野堂・野中・観音寺・谷地・新屋敷【あらやしき】・新城・沢口・中台・三島・麓・日照田・早坂・上大谷・下大谷・関口【せきのくち】・小沢・下川原・岩木の19か村。戸数は「享保郡邑記」で365軒(うち稲庭本郷103),「秋田風土記」で330軒。当村は皆瀬川流域13か村の寄郷を統轄する親郷であり,特に町場を持つ稲庭本郷は秋田・仙台両藩を結ぶ栗駒越え脇街道の宿場町に指定,延宝6年以降六斎市(1・6の日,本町・中町・新町で交代担当)も公認された。親郷肝煎は佐藤家が勤めた。寛文5年中町の肝煎一族佐藤吉左衛門が三梨村産の小麦で干饂飩【ほしうどん】を製造,藩主御用品の指定を受け商品としても通用する。砥石山の石材や紙すきも有名。中世以来の寺社のうち,広沢寺は秋田郡山内村松原補陀洛寺末寺,善竜寺は同郡泉村天徳寺末寺に編入,村鎮守は神明社(のちに三島神社),その他11社の別当を村内の長楽寺と修験3社が兼務。明治5年三島神社は郷社となる。同8年稲庭学校開校,同13年稲庭郵便局設置。同9年新検改租対象地は田147町・畑屋敷191町・山林原野311町歩余(明治18年郡村誌)。村役場は稲庭本郷に新築。同11年の戸数314(うち農201・工37・商40・養蚕専業13・その他)・人口1,543・馬76。同22年市制町村制施行後も単独の自治体として存続,同35年町制施行。同35年石川理紀之助が「稲庭村適産調」をまとめる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258222
最終更新日:2009-03-01




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