ケータイ辞書JLogosロゴ 今戸村(中世)


秋田県>井川町

 戦国期に見える村名。出羽国秋田郡のうち。大今戸【おおいまど】村・小今戸村と両村並記され,両村を総称して大今戸村または今戸村とも称する。天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に,「大今戸村・小今戸村」679石余とあるのが初見(秋田家文書)。「文禄元年秋田家分限帳写」では門間兵左衛門代官所支配の村として両村477石余と記載。門間吉正は慶長5年頃まで両村を管轄。文禄3年8月吉田門間氏宛て実季知行宛行状には両村分477石余とあり,同年10月19日門間氏から秋田家に報告した算用帳には両村461石余と記し,年貢率14%と記載。同じく慶長4年7月13日算用帳では「今戸村」として両村を表記し,慶長3年「百姓前未進」のため年貢進納が遅れると注進。5月18日門間氏宛て実季書状では「未進言語同断,百姓に令用捨候儀曲事に候」とある(浜口門間家文書)。「慶長6年秋田家分限帳」では,「湖東通り大今戸村」677石余は半田平兵衛の代官所支配の村に指定。小今戸村は井川下流左岸の自然堤防上に集落があり,その700m北方に大今戸村の中心集落がある。大今戸の真言宗実相院は,行基奉納の伝えを持つ阿弥陀像を本尊とし,境内に暦応・康永の紀年銘板碑5基がある。小今戸の川崎神社境内にも同年の紀年銘板碑2基が現存。その他,薬師堂境内にも同時期の板碑10数基が存在したという(ひなの遊び)。また大今戸西北方湖岸部の低湿地大関尻潟端から,この時期の農具片とみられる木製品も出土。湖東街道の要地として,開村の古さを暗示する。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258241
最終更新日:2009-03-01




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