ケータイ辞書JLogosロゴ 今戸村(近世)


秋田県>井川町

 江戸期〜明治22年の村名。秋田郡のうち。秋田藩領。真崎堰完成後,真崎季富は元和8年2月20日真崎堰余水を利用しての「今戸村新開」の指紙を獲得,新田開発を進める(真崎氏家譜)。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに414石と図示。宝永2年今戸村百姓喜蔵は湖岸部低湿地の注進開を藩に申請,同年4月14日「大川・一日市【ひといち】・今戸三か村草刈場並払戸村之内鳥長根・六ツ小屋・下谷地」などの開発を許可(払戸渡部家文書)。「享保黒印高帳」では村高517石余・当高531石余(うち本田410・本田並100・新田21),「寛政村附帳」で当高530石余(ほとんど給分)と認定。「天保郷帳」は531石余。小今戸村を枝郷とし,戸数は「享保郡邑記」「秋田風土記」ともに76軒(うち枝郷分23)。近隣の寄郷7か村を差配する親郷でもある。中津又【なかつまた】村の中津又山などに草飼入会する(五城目町史)。潟漁業も盛んで,潟漁関係史料に当村名が頻出。当村から山本郡二ツ森村に至る9か村の入会漁場があった(八郎潟の研究)。文政2年・同4年・嘉永7年の潟漁供養塔が現存。明治11年南秋田郡の村として,大川村を戸長役場とする7か村と連合。同22年南秋田郡下井河【しもいかわ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258242
最終更新日:2009-03-01




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