ケータイ辞書JLogosロゴ 岩川村(中世〜近世)


秋田県>琴丘町

戦国期から見える惣村名出羽国檜山【ひやま】郡のうち文禄元年8月22日「秋田家分限帳写」に初見三種【みたね】川上流の山間部に散在する長面【ながおもて】・まさとり・砂沢【いさござわ】・小又口・小町・田子【たご】・布沢【ぬののさわ】・広沢・町屋敷・不動田【ふどうでん】・大谷の11か村の惣村名として岩川を称したと記す合計358石余の当地域は,分限帳では家臣への給分対象とならない秋田家の特別管轄区域である古代から中世末期まで秋田と野代・檜山を結ぶ交通の要地であり,房住山【ぼうじゆうさん】物語に記されたような古代〜中世の伝説に富む地域でもある天台宗梵字宇山大幢寺および里寺としての長面の見嶽山清岸寺・達子【たつこ】の独鈷山常楽寺・小又口の狐月山専行寺など,いずれも廃寺となったが,その跡には三嶽山薬師堂など小祠がまつられており,鎌倉期から大永3年に檜山城安藤氏に滅ぼされるまで当地を支配したという岩川城址や百騎【ひやつき】館址もあるまた宮野目【みやのめ】には板碑も現存近世秋田藩政下では,藩政初期の村切策により,長面・達子の両村に二分され,惣村名は一時解消しかし元和4年5月19日梅津憲忠が下岩川肝煎佐藤左衛門宛てに「岩川之内沢尻新開」の指紙を下した(近藤家文書)のをみれば,岩川の名称継承と下岩川の成立がうかがえる延宝年中の村落再編で正式に上岩川村・下岩川村が成立し,岩川の名称継承はより明らかとなる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258248
最終更新日:2009-03-01




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