ケータイ辞書JLogosロゴ 岩見村(中世)


秋田県>河辺町

 戦国期から見える村名。出羽国豊島郡のうち。文禄元年8月22日の「秋田家分限帳写」に,館岡半兵衛代官所支配として「岩見村」147石余とあるのが初見(和田城之助殿分限帳)。中世後期を通じ豊島氏領であったが,天正期に入り安東氏に包摂された。天正末年以降実季は知行制のもとに領内を固めたが,慶長6年の「秋田家分限帳」では,199石余が鎌田旦右衛門御代官所支配となっているほか,鵜瀞長右衛門預りの鉄砲衆高橋三吉以下6名,工藤小兵衛預りの弓衆高橋甚之丞以下2名,鎌田勝右衛門預りの槍衆兵三郎以下11名にそれぞれ17石ずつを知行地として分給している(秋田家文書)。村域は岩見川上流域一帯。近世の杉沢【すぎさわ】・新川【しんかわ】・鵜養をも含む地域。八幡・天満宮は中世前期以来の由緒を持つというが縁起は不明。鍛冶屋敷【かじやしき】から中世後期の一石一字経塚が出土している。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258274
最終更新日:2009-03-01




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