ケータイ辞書JLogosロゴ 鵜木村(近世)


秋田県>若美町

 江戸期〜明治22年の村名。秋田郡のうち。秋田藩領。「正保国絵図」では401石,「享保黒印高帳」では村高494石・当高420石(本田358・本田並36・新田26),「寛政村附帳」で当高421石(うち蔵分87・給分334),「天保郷帳」420石,「絹篩新集」465石。天和5年向正九郎によって指紙開がなされている。堤は14か所,うち5か所の堤が37石余の用水源という(絹篩新集)。戸数は「享保郡邑記」で32軒,「絹篩新集」で58軒。枝郷に堂村を擁し,福川【ふくがわ】・角間崎【かくまざき】・本内【ほんない】・松木沢【まつきさわ】・福米沢【ふくめざわ】・野石の寄郷6か村の親郷である。枝郷道村の曹洞宗松原補陀寺末の日向山永源寺は中世の開基といわれる。鎮守稲荷神社の祭礼は4月25日,修験大宝院は文政年中の建立(絹篩新集)。肝煎大淵家は中世からの豪家で大淵文書が伝存し,廻村役人の宿泊があり,菅江真澄も滞在した。文政10年には藩主義厚一行約350名下筋巡覧のおり鵜木村に宿泊している。明治22年南秋田郡潟西【かたにし】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258347
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ