ケータイ辞書JLogosロゴ 浦田村(中世)


秋田県>井川町

戦国期に見える村名出羽国秋田郡のうち天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に,「ゑひ沢村・うら田村・坂本村・本立村・中野村」367石余とある(秋田家文書)「秋田県史」は「うら田」を「こり田」と誤読原文書で訂正した文禄元年・慶長6年「秋田家分限帳」では,当村を除く上記4か村が並記のうえ270石余と記載単純な計算では浦田村97石前後となる文禄3年8月門間兵蔵に与えた実季知行宛行状には,「湖東通浦田村・小竹花村」164石余とある(浜口門間家文書)しかし慶長6年の分限帳で小竹花村164石余と同数値を示す浦田村分は未詳となる現在地比定も困難近世秋田藩政下では,湖東通りに上虻川【かみあぶかわ】村枝郷浦田村の村名があるが,上記の浦田村は並記の村々との関連から推して,井川下流域に存在した小村に比定した方がよい小竹花【こたけはな】村の西方低湿地のうち,八郎湖岸沿い,「浜井川の浦回なる湖のほとりに古刹の廃寺址あり」と菅江真澄が見た地点(のきのやまぶき)付近に想定される羽州街道の整備により近世に廃村
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258368
最終更新日:2009-03-01




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