ケータイ辞書JLogosロゴ 大倉村(近世)


秋田県>稲川町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国雄勝【おがち】郡のうち。秋田藩領。慶長8年の村高は252石余と推定される。慶長20年8月2日梅津憲忠から後藤理左衛門に宛てた大倉村開発の指紙がある(茂木家文書)。しかし自然湧水による用水だけでは旱損がち。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに本田当高185石と記載。承応元年〜万治3年に成瀬川支流狙半内【さるはんない】川から30町歩余を灌漑できる黒坂堰を完成。宝永2年佐竹義格黒印状では当高360石余となり(大倉部落惣代文書),「享保黒印高帳」では村高372石余・当高363石余(うち本田260・本田並50・新田53)と記載。親郷稲庭村の寄郷。「享保郡邑記」の戸数は52軒。宝暦3年〜天保6年に大倉銀山が稼業,最盛期の寛政年間に月産6,000貫を記録(銀山は明治30年〜昭和20年にも再稼業)。隣村東福寺村の白沢銅山からの排水路が当村南部を西流し,19世紀以降田地汚染に悩む(昭和53年土地改良完成)。「寛政村附帳」の当高243石余(うち蔵分1・給分242),「天保郷帳」では363石余。曹洞宗一月山常在寺(増田村満福寺末寺)は元和5年開基,村鎮守大倉神社は天保8年現在地に移建。修験正福寺がある。村の御平均塚【おならしづか】は村はずれの松木の下という。明治9年新検改租対象地は田52町・畑28町・山林原野38町歩余(明治18年郡村誌)。同11年の戸数40・人口214・馬18。同22年雄勝郡駒形村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258448
最終更新日:2009-03-01




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