大沢村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。出羽国河辺【かわべ】郡(寛文4年まで豊島郡)のうち。秋田藩領。式田宮崎村の寄郷。「享保黒印高帳」では村高89石余・当高72石余(うち本田並56・新田16)。享保15年の戸数20軒。「寛政村附帳」では当高46石余(すべて給分),「天保郷帳」では高72石余。明和・享和期の肝煎に庄三郎が当たる。高岡村より15丁北,この間の通りに大難所がある。農業用水は岩見川。稲荷神社がある。祭祀料は久保田岡本家よりあった。明治6年戸数14軒。この年,式田宮崎村は和田村と改称。同12年戸数13・人口59・馬10。同22年戸数17・人口107,田地12町歩余・畑地3町歩余(町郷土史)。同22年河辺郡和田村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258469
最終更新日:2009-03-01