ケータイ辞書JLogosロゴ 大竹村(近世)


秋田県>金浦町

 江戸期〜明治22年の村名。由利郡のうち。元和8年まで最上【もがみ】氏領,元和9年から仁賀保【にかほ】領,寛永8年酒井預り地,寛永17年より本荘藩領となる。元和9年の村高315石,諸役は夜廻役銀1匁・山手役銀1匁・漆であった。「記念館文書」によると享保15年の村高533石余(うち本田315・免5.7,新田218)である。「天保郷帳」では495石。弘化3年大竹村と隣接する生駒領畑村との間で白雪川に架かる橋の件で出入りがあり「勝っても敗けても一文にもならぬ江戸大公事,両村の往来千両公事にあきれ果候」(金浦年代記,弘化3年条)とあり,莫大な金をかけて江戸幕府の裁定まで争っている。文化元年象潟【きさかた】大地震で潰家65・半潰31・潰土蔵3・潰小屋13・死者15・死馬13・けが人33で,宅地に異臭の泥水があがった(象潟郷土史)。明治9年の戸数97・人口454(うち男235・女219)・馬145頭,村の人家を借用して小学校が設置され生徒数男18であった。村社として修験道場であった白山神社と文政8年創建の須賀神社がある。明治22年由利郡金浦【このうら】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258502
最終更新日:2009-03-01




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