ケータイ辞書JLogosロゴ 大塚村(近世)


秋田県>雄物川町

 江戸期〜明治9年の村名。出羽国平鹿【ひらか】郡のうち。秋田藩領。東大塚村とも称した(享保郡邑記など)。「正保国絵図」では334石の村,「元禄7郡絵図」では南接の石塚村を枝郷に含み334石余の村と図示。「享保黒印高帳」では村高581石余・当高475石余(うち本田329・本田並109・新田37),「寛政村附帳」で当高488石余(うち蔵分99・給分389)と認定。親郷は阿気【あげ】村。下大塚・念仏谷地・新処【あらどころ】の枝郷3か村を擁する。「享保郡邑記」の戸数35軒(うち枝郷分25)。「秋田風土記」では45軒・128人・馬22頭とある。「雪の出羽路」では40軒・206人(肝煎九左衛門・佐多郎)・馬17頭と記載。村内に大沼・小沼の湖沼が点在し,当村の用水はこの湖沼や鍋倉【なべくら】の甜【あま】沼から流れてくる小勝田【おがた】川に拠った。「天保郷帳」は475石余。村鎮守薬師如来堂(明治初年大塚神社となり同8年村社となる)のほか,八幡・白山・真山・神明社などをまつる。なお,宝永2年当村の黒印御定書が現存(佐藤家文書)。明治9年平鹿郡会塚【あいづか】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258516
最終更新日:2009-03-01




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