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「大町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

大町(近世~近代)


江戸期~現在の町名江戸期は出羽国平鹿【ひらか】郡のうち江戸期の通称外町【とまち】といわれた横手町の東部に位置し,東端を横手町(旭川)が北流南から上・中・下の3町...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7258555]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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大町(近世~近代)

江戸期~現在の町名1~5丁目がある江戸期は仙台城下町方二十四町の1つ明治11年宮城県仙台区に所属同22年からは仙台市の町名仙台城下の創設に当たって,最初につくり出された町,譜代町の1つ城下の町割は大手前に基点を置き,ここからほぼ東へ向かって大町の町並み,次いでこれと直交する形で国分町・南町の町並みをつくり出した町名は伊達氏米沢在住時の大手に近い町並みを移したことに由来するとされる大町3~5丁目には伊達氏が米沢・岩出山と居城を移した際に,常に行動をともにした町人が集住,御譜代町と呼ばれた城下の町方二十四町には序列があり,首座を占めたのは大町3~5丁目であった1~2丁目は開府に際して取り立てられた上方商人などで占められていたと思われ,譜代町には含まれなかった大町は九月御日市の開催,古手(1丁目)・絹布・木綿・小間物(2~5丁目)などの商品の販売独占権(御用捨という)を有し,さらに六仲間とよばれる卸・仕入独占の株仲間を結成,城下の商業のみならず,仙台藩領全域の商業統制に大きな力を発揮した江戸中期頃には上方から近江商人が来住,とくに日野屋の豪富は名高かった御日市や御用捨品々の特権は慶安4年・延宝3年にそれぞれ廃止されたが,六仲間による仕入独占はその後も続き,このうち古手仲間(1丁目)・絹布仲間・木綿仲間・小間物仲間・繰綿仲間(2~5丁目)の5仲間は大町のみに免許された「仙台鹿の子」によれば,元禄8年前後の軒数143軒半,うち1~2丁目は56軒,嘉永5年の「宗門改」の人頭209・人数2,289,うち1~2丁目は人頭74・人数978当町の西端から屈曲して広瀬川に架かる大橋に至る急坂を大橋通と称した橋際には小人屋敷や材木蔵が置かれていたまた大町3丁目横町と称する街路もあった明治以降,繁栄は官庁・会社・駅場などの集まった国分町に移った明治初期仙台城に東北鎮台が置かれてから大橋通を拡張明治22年広瀬川大洪水で流失した大橋は,のち鉄橋に架け替えられ,昭和13年にはコンクリート橋となった第2次大戦後,金融・問屋などの企業が進出し,5丁目は新伝馬町・名掛丁の商店街とともに中央通商店街として,仙台の代表的なショッピングセンターとなった昭和45年大町5丁目新丁を含み,一部が現行の一番町3丁目・片平1丁目となり,同時に良覚院丁・本荒町・南町・肴【さかな】町・立町・元柳町の各一部を合併し,現行の大町1~2丁目となる

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大町(近世~近代)
江戸期~昭和49年の町名江戸期は宇都宮城下町の1町(宇都宮市史)日光街道と奥州街道を結ぶ大通り沿いに位置し,交通量も多くにぎわいを見せていた寛文・天和年間のものと思われる「下野国宇津宮城下之図」によれば,寺町から上河原町へ通じる通りが大町となっている(県史近世1付録)当町には魚屋が集中しており,元和年間の町割の際に今小路御門先から引き移ったものという寛永元年には36軒に小間割がなされ,のち魚屋で売子仲間が作られた時は,この軒数をもとに36人が鑑札を所持することになった当町の魚屋は,寛永元年から承応3年まで藩主に塩引鮭・塩鱈などを献上したそれ以後は,各魚屋から鐚54文ずつ魚問屋(のち町方名主)が取りたて,あわせて鐚2貫文を郡御役所へ運上銭として納めたまた,当町では毎月1・5・10・15・20・25日に市が立った(宇都宮市史)江戸初期から地子免許元文年間町方書上帳によれば,名主惣八・源右衛門,町並みは東西長さ3町24間・道幅4間,町家は南側30軒・北側48軒,うち本家42軒・小割家74軒,このほか魚屋の並ぶ通りが南北に通っており,その長さ43間半・道幅2間,この両側にあわせて24軒の町家があったまた当町には木戸4か所・番所5か所,ほかに会所坊寺院として真言宗玉蔵院・天台宗威徳院があり,町高は195石余(県史近世1)明和8年町方書上帳には,家数101軒,この坪数1,511坪余と見える(宇都宮市史)寛政年間の諸職人諸商人留によれば,肴屋11・桶屋3・大工3・木綿屋3・八百屋3・畳屋2・鍋屋2・肴問屋1・提灯屋1・塗物師1・研師1・荒物屋1などが見える(同前)また,寛政8年宇都宮宿役馬町割覚によれば,大町組に属し,馬3疋を負担する(県史近世2)明治22年宇都宮町,同29年からは宇都宮市の町名昭和49年馬場通り3丁目・大通り2丁目・一番町となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は水戸城下上町の1町明治22年からは水戸市上市のうちで,昭和8年からは水戸市の町名昭和41年からは1~3丁目がある水戸城の西に位置する武家町「新編常陸」によれば,仲町・南町とともに商人の町で,天正19年佐竹氏の水戸入城の頃開かれ,もとは真成院・玉蔵院・善授院などがあったが,のちにすべて材木町・金町に移り,商家も田町(下町)や金町へ移されて寛永2年から武家町となった「水府地理温故録」によれば,下町・上町で「古来の町人」と称する者たちは寛永初年まで当町に住し,町の中央とかどかどに榎などがあって宿並みのようになったが,寛永2年下町が開発され,金町・泉町の町割がなると移住させられたまた,徳大寺流(徳地流)立花の藤左兵衛,徳川光圀に招かれた儒医森尚謙は当町に居住していたと記す人通りも少なく,町のところどころに狐がいて,御宮下の「長五郎狐」,紙町の「おせん狐」,東台の「おまん狐」,正暦寺前の「てんたいらく狐」など仇名をもつ狐もいた彰考館の学者大井松隣,東禅寺事件の有賀半弥は当町の住人当町の東側は東西141間半・南北71間の矩形で北御門の鉤形路の南に片側31間が張り出し,西側は東西92間・南北65間で,寛政9年の武家屋敷29(水戸の町名)安永3年当町から出火した火災は北三ノ丸・紺屋町など周辺の町にも延焼(同前)明治29年水戸連隊司令部が設置され,同33年県立水戸高等女学校が設立されたさらに,県知事公舎・裁判所検事正公舎などの官舎や事業所が増え,商店街を形成せずに現在に至っている昭和25年の世帯91・人口374(同前)昭和41年北三ノ丸・元白銀町・田見小路・仲町・西町の各一部を編入...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大町(近世~近代)
江戸期~現在の通称地名厳島神社東方の東町のうち弘治元年の厳島合戦では,陶晴賢が宮崎に本陣をおいているが(房顕覚書),豊国神社の場所といわれている天文5年8月日の大願寺買得屋敷書立に「面五間之ミ世,大町ニあり」とあり(大願寺文書),この一帯に早くから町家が建っていたことがうかがえる中世末まで政所屋敷があったが,寛永年間宮島奉行が置かれ,奉行屋敷が設けられた厳島図には芝居小屋も描かれている戸数は,延享3年大町13・南大町9(東町別家数),文化元年大町11・南大町7(東町軒別間尺書)近世中期に南大町が分出廃藩置県により宮島奉行が廃止された明治22年厳島町の通称地名となり,宮島奉行所跡地に厳島町役場が建てられ,岡町も含めて大町となった昭和25年宮島町の通称地名となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大町(近世~近代)
江戸期~昭和34年の町名江戸期は堺町のうちはじめ南本郷,元禄6年南組に所属大道筋に面し,東六間筋の西側から西六間筋の東側までを町域とする元禄8年の「手鑑」によると地子銀850匁余・役家数54軒,享保5年には地子銀850匁余・家役数53役(堺市史5),寛政11年の石銀家数寄帳では家数25軒・地子銀850匁余・家役数56役(全志5)当町内西六間筋を塩風呂町とも戸蔵小路とも称した大道筋と西六間筋の間には,あらゆる病に効果のあるといわれる塩風呂があった天正年間には豊臣秀吉もこの塩風呂に入湯したという(同前)明治12年堺区,同22年からは堺市の町名昭和34年大道筋を境に大町西1~3丁・大町東1~4丁となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は出羽国由利【ゆり】郡のうち城下町本荘の一画をなす慶長7年~元和8年最上氏領(楯岡豊前守代官支配),同8年本多正純領,同9年から本荘藩領城下経済の中心であり,矢島街道・酒田街道・秋田街道・横手街道の集中点をなし,交通の要地である(本荘自治史)町方【まちかた】の中心をなし,東は横町【よこまち】,西は中町,南は田町,北は桶屋【おけや】町・後町明治22年からは由利郡本荘町,昭和29年からは本荘市の町名となる秋田銀行・奥羽銀行の両支店や信用組合等が置かれた(本荘自治史)...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

大町(近世~近代)
江戸期~現在の町名近世には秋田藩の所預【ところあずかり】佐竹南家領雄勝【おがち】郡湯沢町のうち町の中央部で,北は柳町,南は田町に接し,羽州街道沿い約162間余・戸数88軒の町人町(享保郡邑記)で,商店・酒造業者などが多かった廃藩置県後も商店街として発展真宗大谷派湯栄山安乗寺(東本願寺末)は明治15年この地方で初めて開校した英語塾麗沢舎の教場となり同21年まで存続したという昭和29年3月より湯沢市の町名に継承,同49年現行の大町1~2丁目となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

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今日の記念日

『世界知的所有権の日(WorldIntellectualPropertyDay)、リメンバー・チェルノブイリ・デー』

1986(昭和61)年、ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所で、大爆発事故が発生しました。周辺の地域に大量の放射能が撒き散らされ、史上最悪の原発事故となりました。

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