ケータイ辞書JLogosロゴ 大湯村(近世)


秋田県>鹿角市

 江戸期〜明治9年の村名。鹿角【かづの】郡毛馬内【けまない】通りのうち。南部藩領。「邦内郷村志」によれば,蔵入高174石余・給分采地443石余,馬146,戸数125(うち上町46・下町32・上之湯13・下之湯22,枝郷に当たる折戸・山中・白沢・土沢・集ノ宮新田分12)。普門山大円寺があり,曹洞宗で最上黒滝白川寺末。盛岡報恩寺支配。集宮をまつる。大湯から25里,三戸地区関村から25里の所に山中巡検使休息の一家があった。東方3里余の山中には不老倉【ふろくら】銅山があった。「天保郷帳」では1,035石。「奥々風土記」には,大湯駅が鹿角郡内五駅の1つであること,薬師神社には慶長13年の棟札のあること,大湯温泉は万病に験あり,ことに悪瘡にきくこと,老若男女が年中絶え間なく入湯に集まることを記す。大円寺は天文5年創建で毛馬内氏菩提所という(鹿角のあゆみ)。天明8年古川古松軒も湯の出口は4か所で2か所は疝気・中風に効くなどと書いている(東遊雑記)。大湯温泉街から南西の黒又山麓風張【かざつぱり】・宮野平【みやのたい】方面の台地への登り坂は在郷坂と呼ばれたが,それは大湯の高台にある和町【わまち】一帯に同心たちの住む武家屋敷が並んでいたからである。来満【らいまん】街道の駅場であることが鹿角五駅の1つに数えられる理由であるが,津軽領・秋田領とも近い関係にあったのも武家屋敷の存在した理由である。明治5年大洪水があり大円寺も被害を受けた。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258584
最終更新日:2009-03-01




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