ケータイ辞書JLogosロゴ 邑良志閉村(古代)


秋田県>阿仁町

秋田県北部の古代夷俘村の名北秋田郡内に属すと考えられる弘仁2年7月出羽国が国奏によって,管轄下の服従している夷俘の豪族で邑良志閉村の吉弥侯部都留岐【きみこべのつるぎ】が,当時文室綿麻呂【ふんやのわたまろ】軍に抵抗している陸奥国北部の村夷伊加古【いかご】らと年来対立関係にあるので,官軍に協力して彼らを撃ちたいと申し出ているゆえこれを聞き届けたいと上申してきて許された(日本後紀)伊加古と都留岐の争っていたのは鹿角【かづの】などを中心にした地域の争覇であると認められるから,都留岐の本拠邑良志閉村は北秋田郡地方にあったと考えられる「地名辞書」はこれを阿仁【あに】町の荒瀬【あらせ】の古名と考えた荒瀬が邑良志閉の古名である確証はないが,大勢から北秋田に位置するとみることは妥当なので,便宜上ここに掲げる陸奥国胆沢郡式内社於呂志閉【おろしへ】神社も同語であり,同国栗原郡式内社遠流志別石【おろしべいし】神社なども同語とみてよい夷語で邑良志閉(別)の地名は一般的なものであったかもしれない
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258679
最終更新日:2009-03-01




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