ケータイ辞書JLogosロゴ 上津野村(古代)


秋田県>鹿角市

元慶の乱の際の反対勢力12か村の1つ(三代実録)後世の鹿角【かづの】地方で,米代【よねしろ】川に沿った陸奥・出羽両国通交の要地東北南部の会津地方に似た地理的環境と機能を持つ上津野の名は,米代【よねしろ】川上流の平地の意である中津野は比内【ひない】,下津野は能代【のしろ】ということになろう中世以後鹿角は陸奥と政治的関係が深く,近世は南部藩に属すため,古代から陸奥の政治境域に含まれたように考えられやすいが,上津野とはあくまで米代川下流からみて名づけられた地名である鹿角盆地は河流によって天然自然に出羽側に向かって文化の窓口を開いていたのである元慶の乱で12か村の殿【しんがり】に位置して秋田城司の苛政に反抗したのも,その自然地勢と政治地理上の立場を如実に示すものである岩手県北部や八戸【はちのへ】南部の地方への古代文化の重要な流通路であり,弘仁期の文室綿麻呂【ふんやのわたまろ】征夷の際に,北秋田側の豪族吉弥侯部都留岐【きみこべのつるき】と岩手側の弐薩体【にさたい】の伊加古【いかご】が宿年争っていたという(日本後紀)のも,上津野地方の争覇のためであったと認められる古代にもすでに自然産出の鉱物資源にも恵まれていたかと考えられるので,その面でも重要な地帯であったものと認められる平泉藤原氏もここを経て津軽十三湊【じゆうさんみなと】や米代川河口能代の交易担当機関と連絡していたと考えられる泰衡が北への逃走をもくろんで比内【ひない】の贄柵【にえのさく】まで至ったのも,この鹿角路があったからである
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258754
最終更新日:2009-03-01




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