ケータイ辞書JLogosロゴ 勝楽村(中世)


秋田県>角館町

 戦国期から見える村名。出羽国山本郡(北浦郡)のうち。天正18年12月19日豊臣秀吉朱印安堵状写に初見(戸沢文書)。「かつらく村」1,633石余(うち田138町・畑4町)とあり,角館城主戸沢光盛の当知行地。同朱印状写では,戸沢氏の城下町周辺部は赤平【あかひら】村の下に統計されているので,勝楽村のこの石高は檜木内川の東から大威徳山の西までの玉川以北部の統計数値と推定される。西は雲然【くもしかり】郷,南は鶯野【うぐいすの】郷に接する。元和6年の新町割施行後,農村部が勝楽村として残るが,隣接の小館【こだて】村を合わせても石高は小さい(正保4年の本田当高でさえ143石,享保14年の村高396石余)。しかし今はとりあえず,新町割の実施された地域がそれだけ石高の多かったことを推定しておくにとどめる。大威徳山の中腹に花房備前守某の居館という城館址があり,小館にはまた戸沢家臣小館氏の城館があった。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258755
最終更新日:2009-03-01




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