ケータイ辞書JLogosロゴ 上黒川村(近世)


秋田県>岩城町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国由利【ゆり】郡のうち。もと最上氏領。赤尾津【あこうづ】郷17か村のうち。元和8年本多氏領を経て,同9年亀田藩領。内越【うてち】郷(内越通りともいう)23か村のうち。四囲みな山で交通は不便であったが,森林や山菜に恵まれ,また土地も黒色で,さらに水利が便利であった。特に東方の竹森・権現山は松やスギが豊富であった。村高は「正保国絵図」で192石,正保3年5月28日「高目録」では192石(うち田190・畑2)と図示。「元禄7郡絵図」で184石,「天保郷帳」では207石。享和2年の「領内村々庄屋覚帳」によると,庄屋は金森庄右衛門であった。南方に住吉神社がある。明治9年の田25町6反余・畑4町1反余・宅地1町5反余,計31町2反余,家数は平民20・神社1,計21軒,人口は男52・女63,計115人,馬37頭(郡村誌)。明治12年工藤弥九郎が戸長となる。同22年由利郡亀田町の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258865
最終更新日:2009-03-01




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