ケータイ辞書JLogosロゴ 川連村(近世)


秋田県>稲川町

 江戸期〜明治22年の村名。雄勝郡のうち。秋田藩領。慶長8年の村高2,039石余と推定。村切り策の中で,寛永20年飯田村,正保2年八面村,享保16年大館村を分出。「正保国絵図」では大館・八面・飯田・野村を分離して,本田当高1,082石とあり,「元禄7郡絵図」では大館・野村を併合して1,491石余と記載。分離併合は激しいが,享保16年以降は枝郷に久保・中久保・万九郎屋敷・清水川【しずがわ】・野・山田・麓【ふもと】(のち大館村枝郷)の7か村を擁し,村全体は親郷稲庭村の寄郷となる。川連漆器生産の発祥地であり,19世紀には枝郷久保村・野村戸数110余のうち半数以上が漆器生産に従事。当村肝煎家の「高橋家文書」「中野家文書」は漆器工業関係文書をも多数含む。酒醸造も盛んであった。現存する「関家文書」も幕末期の経済状況をよく伝える。「享保郡邑記」「秋田風土記」の戸数231(うち枝郷7村202)。「享保黒印高帳」村高1,529石余・当高1,596石余(うち本田1,259・本田並176・新田161),「寛政村附帳」当高1,252石余(うち蔵分82・給分1,170),「天保郷帳」1,330石余。村鎮守は八幡神社(文化4年焼失・同12年再建,現社殿は明治20年造営),その他6社がある。寺は河秀山竜泉寺(秋田郡泉村天徳寺末)・八幡山神応寺(湯沢町清源寺末)の曹洞宗寺院。明治9年新検改租対象地は,田150町・畑36町・山林原野93町歩余(明治18年郡村誌)。野村に川連村役場設置。同9年川連学校開校。同11年の戸数225(うち漆器専業15,農業175戸のうち養蚕兼業120・工業兼業55)・人口1,187・馬数66。同12年山谷【やまや】峠を開削,皆瀬川に久保橋を架橋し,湯沢町との交通至便となる。同22年雄勝郡川連村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7258992
最終更新日:2009-03-01




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