ケータイ辞書JLogosロゴ 久保田村(近世)


秋田県>由利町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国由利【ゆり】郡のうち。慶長7年〜元和8年最上氏領,同8年本多正純領,同9年から本荘藩領。元和8年滝沢兵庫頭知行地として久保田村7,098束苅(88石余)と見えるのが初見(滝沢伝来記など)。「正保国絵図」に当高250石余とある。元禄11年「村高帳」では224石余とあり,「元禄7郡絵図」には久保田村と記され同高。「天保郷帳」301石余。慶応4年「滝沢郷村鑑書上帳」(木村家文書)に高198石余(本田・新田・畑とも),家数26軒・人数132(うち男64・女68),修験は宗鏡院1軒とある。曲沢【まがりさわ】堰が主たる用水として利用されたが,湿地帯でしばしば水害を受ける(郡村誌)。村鎮守諏訪大明神。明治9年の戸数28戸(うち社1)・人数138(うち男63・女75),馬28頭,うち4頭を本荘町馬市に販売。漁船1・耕作船2とある(郡村誌)。同22年由利郡東滝沢村の大字となる。合併当時の戸数28・人口175であった(東滝沢村誌)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7259101
最終更新日:2009-03-01




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