ケータイ辞書JLogosロゴ 指鍋村(近世)


秋田県>矢島町

江戸期〜明治初期の村名出羽国由利【ゆり】郡のうち慶長7年〜元和8年最上氏領,同8年本多正純領,同9年〜寛永17年本荘藩領,同17年から矢島藩領盆地部の中央を流れる子吉【こよし】川氾濫原に位置し,現在の矢島町大字立石【たていし】字持子に当たる慶長17年という「由利郡中慶長年中比見出検地帳」に指鍋と見えるのが初見寛永17年替地の際指鍋村123石余とある(由利十二頭記滝沢本)「正保国絵図」,正保3年「知行高帳」,元禄15年「知行高辻帳」「天保郷帳」などいずれも当高123石余(うち田方123石・畑方9斗)明暦3年からの本荘藩滝沢郷と矢島向【やしまむかい】郷8か村の間の立石山境界論争では,万治2年当村名主甚兵衛の名が見え,江戸に上り解決に奔走している村鎮守神明社明治9年までに八ツ杉村に併合されるが時期は不明
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7259398
最終更新日:2009-03-01




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