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猿倉村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
猿倉村(近世) 江戸期の村名魚沼郡のうち十日町村8か村の1つ信濃川右岸,田川流域はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」では十日町村1村として見え,「元禄郷帳」では猿倉村16石余天和検地では反別田1町余・畑1町余,のち宝暦6年新田検地で新たに高2石余(田畑合せ1町余)を高請する元禄7年改村鑑によれば,家数5・人数30,馬2文化2年の家数9(新編会津)鎮守は子之神社,下体の患いに特効があるとして参詣者が絶えなかった谷あいの村柄で,農業のほか縮を少々織り出した江戸中期に十日町村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることもあった... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」