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- 三本柳村(近世)とは
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![]() | 三本柳村(近世) 江戸期~明治9年の村名庄内地方,庄内平野のほぼ中央,最上川と京田川にはさまれた平坦地に位置するはじめ櫛引【くしびき】郡,寛文4年からは田川郡のうちはじめ庄内藩領,慶安2年からは松山藩領川南組に属す村高は,寛永元年の庄内検地高辻では108石余,延享3年の手控帳(県史17)では264石余,「天保郷帳」260石余,幕末期の「弐郡詳記」では264石余,「旧高旧領」266石余承応3年小島谷地の境界・用益権をめぐり,庄内藩領町村と松山藩領の当村および廻館【まわたて】・余目新田・常万【じようまん】・柴野各村との間に相論が起こり,町村肝煎藤兵衛・余目新田村肝煎助右衛門が籠舎を申し渡されたが,双方が詫言を申し出て許され,明暦元年両藩役人検分のうえ境界が設定されたこの小島谷地論はその後も続いた鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同年廻館村に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」