ケータイ辞書JLogosロゴ 白岩(中世)


秋田県>角館町

 戦国期に見える郷村名。出羽国山本郡(北浦郡)のうち。天正18年12月19日豊臣秀吉が角館【かくのだて】城主戸沢光盛の当知行を安堵した朱印状写に,「白岩ノ内,下信村」とある(戸沢文書)。同状の「梅沢ノ内」「楢岡ノ内」の注記や関連史料と照合すると,この「白岩」は直接には戸沢家臣白岩氏を示すが,白岩氏は白岩の地名を苗字とする国人であり,当時すでに白岩郷とも称しうる領域が成立していたと推定される。集落背後の玉川と平野部を見下ろす山腹に,白岩城址がある。南方の十六沢城址や西方平野郡の葛川城址も支城という。伝えでは,中世初期の城主は藤原有信の家臣宮藤氏,次いで平姓下田氏が城主となり白岩氏を名乗る。南北朝期以降,下田系白岩氏の次郎美作守盛国・弥十郎盛通・備前守盛遠・弥十郎盛房らは,戸沢氏と対立または婚姻関係を結び,戦国期には戸沢家宿老の位置を占めたという(戸沢家譜)。白岩城の西南方セト山付近が武士屋敷のあった元町【もとまち】といい,その山麓の白岩街道沿いに城下町を形成。西方角館城に通ずる白岩街道沿い下花園地区に永和4年銘の板碑がある。宝徳2年曹洞宗竜沢山雲巌寺が建立。天文年間に高柳山真楽寺,文亀3年に松本山真乗寺の両一向寺院も城下に移建。修験宝珠院も城下にあり,神明社別当を兼帯。城下で六斎市も開かれたという(月の出羽路)。天正18年豊臣秀吉が破却を命じた戸沢支城35城中に,白岩城がある。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7259608
最終更新日:2009-03-01




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