ケータイ辞書JLogosロゴ 大正寺郷(近世)


秋田県>雄和町

 江戸期の郷名。出羽国由利郡のうち。慶長17年6月28日,最上氏領であったとき作成された「由利郡検地帳写」に,新波・神か・繋・荒沢(萱沢)・猪狩田(碇田【いかりだ】)の5か村を大正寺郷と記し,年貢高877石余(うち本田畑分708・出米分169)と統計。生産高はその倍とみられている。居屋敷138軒。雑貢租として,山手代が由利銭で16貫200文・サケ7弓・漆木819本および雄物川舟運の登舟荷物役などがある。郷の機能は未詳であるが,中世末期以来の仕組であるとみられている。元和9年以後,亀田藩領下では大正寺郷または大正寺通と称し,上記5か村を中心に13〜16か村の村々を含む通称名となった。向野【むかえの】・中俣・福俣【ふくのまた】・富田・滝俣・下蛇田・泉田・下黒川(下黒瀬)・円行寺・北野目・江原田の11か村が加わる(羽陰温故誌・由利郡誌・大正寺村史)。亀田藩の主要財源となった雄物川舟役運上の徴収地であり,この地区を流れる雄物川を大正寺川とさえ称する。川舟役徴収のため繋【つなぎ】村(のち新波村)に大正寺御番所も設置。大正寺の地名はこうして継承された。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7259800
最終更新日:2009-03-01




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