ケータイ辞書JLogosロゴ 田草川村(近世)


秋田県>雄和町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国河辺【かわぺ】郡(寛文4年まで豊島郡)のうち。秋田藩領。慶長8年の村高671石余と推定される。南方に中世末期の椿川【つばきがわ】村の一部を含んで成立したらしい。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに本田当高575石の村と図示。この間,岩見川と合流する地点の雄物川を左岸の小山【こやま】村寄りに新川を開削して洪水防止を図り,当村側の低湿地一帯を開発。17世紀後半には,新田分が芝野新田【しばのしんでん】村(寺沢村を含む)として独立。「享保黒印高帳」では村高731石余・当高666石余(うち本田616・本田並38・新田12),「寛政村附帳」で当高482(うち蔵分5・給分477)と認定。親郷野田高屋【のだたかや】村の寄郷。山崎・沖ノ郷の両村を枝郷に擁する。戸数は「享保郡邑記」で88軒(うち枝郷分50),「秋田風土記」で65軒。肝煎家に鈴木・堀井・伊藤・永沢家が知られる。寛政年間頃,岩見川河口部の開発をめぐり,対岸の四ツ小屋【よつごや】村と紛争を起こした。川漁のサケ・アユは当村の特産という(羽陰温故誌)。村鎮守は本田【ほんでん】の八幡社。ほかに八坂社・稲荷社などを含め氏神49社をまつるという。修験永沢山霊山寺があり,系図を保存。四ツ小屋村と連絡の舟渡場が船沢【ふなさわ】にある。「郷村誌」が高470石余・戸数66・人口320・馬70頭。「天保郷帳」は981石余とあり,芝野新田村を含むらしい。明治11年平沢【ひらさわ】村を戸長役場とする13か村と連合。同22年河辺郡川添【かわそえ】村の大字となる。当時の村勢は,戸数89・人口555,田132町・畑10町・山林原野14町歩余。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7259882
最終更新日:2009-03-01




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