ケータイ辞書JLogosロゴ 田子村(中世〜近世)


秋田県>山本町

戦国期から見える村名出羽国檜山郡(寛文4年から山本郡)のうち達子村とも書く村名の初見は天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に,「岩瀬村・たつこ村」163石と記載(秋田家文書)翌年の秋田家分限帳写では,岩川惣村を構成する11か村中の最大の村として,田子村104石余と明示これが太閤検地で認定された当村の村高であろう岩川惣村中では最北,三種【みたね】川の中流部に位置する「梵字宇山興隆記」では平安初期に天台宗大幢寺の里寺として達子村に独鈷山常楽寺を建立したと記し,その跡を訪れた菅江真澄は男達子の森に常楽杉を認め図示し,女達子の丘では古地蔵を慈覚大師のものかと書きとどめている(おがらの滝)近世秋田藩政下では,当初の村切策では長面【ながおもて】村と岩川惣村を二分し,「正保国絵図」では332石の村として図示延宝年中の村落再編で上岩川村・下岩川村が形成されたとき,長面村とともに下岩川村を構成する枝郷となった「享保郡邑記」では65軒の村と記載現在は小字の達子として村名をとどめる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7259918
最終更新日:2009-03-01




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