ケータイ辞書JLogosロゴ 東福寺(中世)


秋田県>稲川町

 戦国期に見える郷村名。出羽国雄勝【おがち】郡のうち。天正18年10月20日直江兼続書状に「東福寺,但稲庭ノ内」とあるのが初見史料(色部文書)。「東福寺城」「東福寺領」ともあり,関連史料から推して,東福寺は寺名でなく村名である。このとき太閤蔵入地に指定され,東福寺城主からの指出高1,000刈(7石=7貫文)のうち,3分の2を上納させられている。城主は小野寺氏一族の東福寺道定であったらしく,指出高はかなり過小申告である。城は大倉の牛形【うしがた】城と推定。さかのぼって,鎌倉・南北朝期頃の東福寺領主は小笠原氏の家臣保坂氏であり,室町期以降に稲庭系小野寺氏の勢力に取って代わられたという(当福寺縁起・小笠原系図)。雲岩寺境内に南北朝期の板碑がある。さらに明治末年頃に東福寺字上野【うわの】の五輪台【ごりんだい】から,南宋銭を下限とする渡唐銭約5,000枚が発掘,昭和20年頃にも前林【まえばやし】から中世の埋設とみられる経筒が発掘されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7260141
最終更新日:2009-03-01




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