ケータイ辞書JLogosロゴ 中淀川村(近世)


秋田県>協和町

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国仙北【せんぼく】郡(寛文4年まで山本郡)のうち。秋田藩領。慶長8年の村高544石余と推定される。「正保国絵図」の本田当高527石。境村の寄郷となるが,18世紀には上宿【うわしゆく】・荒田・古種沢【ふるたねざわ】・中村・下村【したむら】・山田・田屋・野合【のあい】・由田・小栗山【こくりやま】・一の沢を枝郷に擁する。19世紀には荒田・古種沢・一の沢が消失し,新しく千尺【せんじやく】が加えられた(月の出羽路)。「享保黒印高帳」では村高829石余・当高768石余(うち本田526・本田並145・新田97),「寛政村附帳」の当高580石余(すべて給分),「天保郷帳」768石余。「享保郡邑記」の戸数90(うち枝郷分76),村鎮守は諏訪神社。曹洞宗庄内善宝寺末,萃嶽山太寧寺がある。明治22年仙北郡淀川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7260363
最終更新日:2009-03-01




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