ケータイ辞書JLogosロゴ 南郷村(近世)


秋田県>山内村

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国平鹿【ひらか】郡のうち。秋田藩領。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに160石の村と図示。当時は三又【みつまた】村を内包していたとみられる。「宝永2年黒印高帳」で当高178石余,「享保黒印高帳」では村高189石余・当高183石余(うち本田120・本田並41・新田21),「寛政村附帳」で当高174石余(うち蔵分132・給分42)と認定。親郷横手町の寄郷山内村【さんない】村9か村中の1村であり,肝煎の代わりに帳蓋役の置かれた枝郷と寄郷の中間的扱いを受ける。南郷村は大平・甘池【あまいけ】・下南江・上・中嶋・三ツ屋・杉・中嶋・旗南江・雄勝川・塩匙【しおかい】・丸志太【まるしだ】・粕子瀬【かすこぜ】の13か村の総称であり,「享保郡邑記」では家数は91軒。「雪の出羽路」では460人。旗南江村の寒沢では良質の石材を産し,雲碓【からうす】・石櫃【すびつ】・石階【いしがき】などに伐り出されたという。「文化13年横手山内菅糸御買上取調帳」によれば,当村の惣左衛門が3貫弱(代金13両余)の生糸を生産している。南郷嶽にまつられている蔵王権現金峯山神社は,筏村の三十番社の奥院であり,享保21年建立の棟札を持つ(山内村郷土資料)。「天保郷帳」183石余。「明治4年御物成皆済目録」では189石余。明治7年南郷学校を開校。同22年平鹿郡山内村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7260420
最終更新日:2009-03-01




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