ケータイ辞書JLogosロゴ 畠等村(近世)


秋田県>皆瀬村

 江戸期〜明治22年の村名。出羽国雄勝郡のうち。秋田藩領。「正保国絵図」では稲庭村の枝郷として畑等村の郷形を図示。元文元年川向村から分村して成るというが(郡村誌),「元禄郷帳」では畠等新田村108石余と図示し,「元禄15年変地目録」(佐竹文書)でも独立村となった旨を報告。18世紀初頭に新田の字をとる。「享保黒印高帳」で村高255石余・当高127石余(うち本田66・本田並22・新田39),「寛政村附帳」は当高131石余(うち蔵分84・給分47),「天保郷帳」で127石余。18世紀から明治初期まで当高はほとんど変化がなかった。享保年間に地頭給人根田久四郎ほか3人が枝郷羽場【はば】村の忠進開をした際,3,800間余にわたる羽場堰の維持困難のため,検地後の免40%を従来どおりの30%に下げるように願い出ている(小南家文書)。このように免が低いのは,高の85%が畑屋敷高であったためで,「物成買納」の村といわれ,タバコを第一の産としていた。山林は広大であったが大部分は留山で,わずかに薪炭を売る分だけ毎年申請して伐り出していた(県林業史)。また幕末期に木地【きじ】山から川連【かわつら】漆器の原木を伐り出しており,年70〜80挽程度だった(村史)。「享保郡邑記」によれば畠等は枝郷の滝向【たきむかい】・桂沢【かつらさわ】・滝野原・羽場・外山【そでやま】・生保内【おぼない】・中ノ台・落合・沖ノ沢・新所【あらどころ】・若畑【わかはた】・小湯【こゆ】の12か村の総称であり,戸数214軒。親郷は稲庭村。「秋田風土記」は160軒。明治初期に桂沢・滝野原・新所・若畑の4か村が統合され,枝郷は8か村(外山・生保内は袖浦【そでうら】・下生内【しもおぼない】となる)に減少。なお小湯村は小安(男安)村ともいわれ,「正保国絵図」では稲庭村の枝郷,「元禄7郡絵図」では川向【かわむかい】村の枝郷として郷形を図示されている。湯役銀1貫200匁を負担する温泉場があり,宝永4年の慶寿院ほか110人余の湯治や文化8年藩主佐竹義和一行の来湯など,村民の負担となった。また仙台領寒湯【ぬるゆ】村との間に小安口番所が置かれ,番所役人などの諸経費を川向村と共同負担し村民の苦難の種となった。村鎮守は落合の山神社。小湯の薬師神社も有名。安永年間に稲庭村の広沢寺住職石門和尚が創建した曹洞宗洞源庵は,天保年間より無住,やがて廃寺。戊辰戦争では小安口から仙台藩兵が侵入,その帰路において追撃軍との間に激戦があったという。明治9年新検改租対象地は田43町余・畑108町余・鹿野畑85町余・山林原野337町余,戸数161・人口887(郡村誌)。明治22年雄勝郡皆瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7260615
最終更新日:2009-03-01




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