ケータイ辞書JLogosロゴ 八割村(中世)


秋田県>角館町

 戦国期に見える村名。出羽国山本郡(北浦郡)のうち。村名の初見は天正19年作成の「仙北郡村数日記写」(色部文書)。豊臣秀吉は前年に角館城主戸沢光盛の当知行を安堵した雲然【くもしかり】郷を,この年太閤蔵入地に設定し,検地奉行上杉景勝の家臣色部長真に管轄させた。その郷内31か村中に「はちわり」と記載。なお他の30か村中には,近世に八割村の枝郷となる塩手沢【しおてざわ】・西野【にしのの】・瀬蔵野【せぞうの】・大沢の4か村のほか,現在の八割の内の小字名に残る内山・坂ノ下も村名として記載。中世の館跡がある。南部浪人小北勘助開村に功ありというのは,慶長年間頃のことか。稲荷社・薬師堂もこの時期からまつるという(秋田風土記)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7260641
最終更新日:2009-03-01




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