ケータイ辞書JLogosロゴ 平尾鳥村(中世)


秋田県>雄和町

 戦国期に見える村名。出羽国豊島郡のうち。初見史料は,天正19年正月吉日「秋田郡御蔵入目録写」に「た祢沢村・ひろ鳥村」362石余とある(秋田家文書)。種沢【たねざわ】村と並記された「ひろ鳥村」が当村を指したとみられる。前年暮の太閤検地を契機として,豊臣秀吉は秋田実季領であった両村を太閤蔵入地に指定,管轄を実季に委託したことを示す。目録に統計された石高のうち,当村分は169石余前後と推定される。蔵入地の管轄に関する秋田家の豊臣方への報告書には,当村は種沢村の名称下で記載。熊谷系平尾鳥氏の拠る平尾鳥城は,種沢城とともに,元亀元年(一説では永禄10年)頃,豊島城主豊島氏の攻撃を受けて落城したという。この後,豊島氏領の出羽国豊島郡内の村となり,さらに秋田氏領となり秋田郡豊島庄内の村となる。太閤蔵入地指定後,秋田実季は慶長6年3月10日「豊島庄内,平尾鳥村之内」100石4斗を一門の湊左馬丞の知行地に宛行っている(藩採集秋田湊家文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7260780
最終更新日:2009-03-01




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